UAゼンセン結成2012年当時のエピソードや、10年間の取り組み、 そして未来に向けてのメッセージを、 松浦会長・八野副会長・坂田副会長のクロストークで綴ったドキュメンタリー動画。
UAゼンセン10周年記念動画に収まりきらなかった松浦会長、八野副会長、坂田副会長の貴重なインタビューをまとめました。UAゼンセンのこれまでの10年と未来に向けて、それぞれの想いとは?
会長
松浦昭彦
副会長
八野正一
副会長
(10周年記念事業
準備委員長)
坂田浩太
松浦会長
2012年にUIゼンセン同盟とJSD(日本サービス・流通労働組合連合)が統合しましたが、統合にむけた協議は2005年からあって、いくつかのポイントで折り合うことができなくて中断した時期もありました。しかし、2012年は当時の「UIゼンセン同盟」が結成10年で、さまざまな組織機構を見直す時期でした。そのタイミングに合わせるように「JSD」との再協議がまとまって「UAゼンセン」が2012年に誕生した、ということですね。
八野副会長
そうですね。この間、私たちは、まず「全百連(全日本百貨店労組連合会)」という形で誕生し、その活動が停止して「商業労連(日本商業労働組合連合会)」になり、「チェーン労協(チェーンストア労働組合協議会)」と「百貨店七労組」が集まってJSDが結成できました。結成したのが2001年ですから、その間、さまざまな議論が行われましたが、「ゼンセン同盟」と商業労連が中心になって「NIO21(ニオ21)」ができ、その中で新しい時代の流通産業を作っていこうという話になります。そこから考えると約20年という月日が流れています。
八野副会長
私たち旧JSDは、当時のメンバーたちが再編統合に向けて「全員がいくんだ」、「次世代に課題を残さない」という強い思いで進めていきました。
この場を借りて、加盟組合のそのときのトップ、組合員の人たちの行動と決断に感謝をしたいと思います。
松浦会長
組織統合の議論は一度中断し、再協議でなんとか組織統合をする上で積み残しの課題だったのは「組織の名称をどうするか」ですね。当時のUIゼンセン同盟が話したことの1つに「『ゼンセン』という言葉を新しい組織に残したい」ということがありました。
当然、新しい組織なので、「従来の名前をお互いに捨てて別の名前にしても良いじゃないか」という議論になったんですが、「ゼンセン」という組織の名称には深い歴史があります。もともと繊維産業の「全繊同盟(全国繊維産業労働組合同盟)」だったころから大変重要な役割である繊維産業の国際運動をしてきました。「国際的なネームバリューは残しておきたい」という思いがあったのです。
松浦会長
ただ、「同盟」という言葉は「同盟体の運動」として共有できましたが、いわゆる運動路線としての同盟というイメージがなかなか新組織として入れることに抵抗もある。そこを受け止めつつ、「同盟体の運動はやっていくんだ」と工夫をさせて頂いた。UAゼンセンの「UA」には「Union Alliance」の「同盟」に対応した「Alliance」という言葉を託して残しました。
また、加盟組合それぞれの主な取り組みは、もちろん労使交渉が中心になりますが、産業別組織というのは、産業全般にわたる産業政策であったり、産業内の労働条件の向上だったりとさまざまなこと、社会運動、地域活動にも取り組まなければならない。そういう意味では「All-round」である。こうして、UAのAに2つの意味をもたせてUAゼンセンという名前になった、ということです。
松浦会長
実は、いまだから言える裏話でUAゼンセンの名前ができた時に「UAにするか、AUにするか」という議論があったんです。でも、私は「携帯電話みたいだからやめましょう。UAの方が良いですよ」と伝えて、なんとかUAでみんなが了解してくれました。
新しくできたUAゼンセンは非常に多くの産業、業種が網羅されています。UIゼンセン同盟当時の組織の見直しの議論を受けて、大括りの「製造」、「流通」、「サービス」と3つの部門制の中で、部門での産業活動、産業政策をやってもらう形にしました。