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協力者インタビュー

製造産業
部門

東海染工労働組合

鈴木 未来 さん

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ベテランの方の知識を吸収するべく頑張る毎日

普段の仕事では、主に染色加工後の生地の試験をしています。洗濯したときに色落ちしないか、光が当たって退色しないかといったことを検査しています。毎日8時に仕事が始まって、午前中は基本的にずっと試験。数時間を要する検査もあるので、時間がかかるものは朝早くから取り掛かります。毎回、きちんと基準をクリアできるか緊張しますね。

色って、本当にいろいろあるんですよ。「緑」と言っても濃い緑、薄い緑があるし、色の濃度によって試験の判定結果の見方が変わります。学生時代に美術部だったので、そういういろんな色を見られるのは楽しいですね。この仕事を始めてから、お店に洋服を見に行くと「縫い目で色が違うな」とか「風合いが硬いよね」とか、つい評論家みたいな目線になってしまいます。職業病ですね……(笑)。

私が所属している技術課には、新卒の子から60代の方まで幅広い年齢層の方がいます。ベテランの方は知識も技術も本当にすごくて、私もそのようになりたいと思って日々頑張っています。ベテランの方が退職する前に、私がどれだけ知識を吸収できるか。私がその方と同じ年齢になってもたぶん足元にも及ばないので、なんとか今のうちに聞けるところは聞いておこうと思っています。

女性が働きやすい環境づくりを

組合役員になったきっかけは、自分の意志というより職場の事情でした。同じ課で組合役員だった方が異動になり、代わりに私が入ることになったんです。「明後日のお昼から委員会やるから、とりあえず行って」と急に言われ、何も分からないまま参加しました。まずは組合の活動内容や考え方を聞いて。最初は本当にただ聞くだけだったんですけど、だんだんと知り合いが増え、世界が広がっていきました。

具体的な活動は、「どうすればもっと働きやすい環境が作れるか」「この課がこういった問題に直面しているからどうしたらいいか」など意見交換をして、労使協議会で伝える、といったことです。

現場の声はなかなか上がってこないので、なるべく「最近どう?」とフランクに聞くようにしていますが、難しいですね。後輩は急に聞かれたら怖いだろうし、言いづらいだろうなと思うので。でも、ときどき「これが大変で」「最近あまり体調がよくなくて」と話してくれる方もいるので、自分の力ではどうにもならない問題は支部長に相談したりしています。
特に私の職場は男性が多く、女性の声はなかなか通りにくい現状があります。なので、たとえば「職場のトイレにサニタリーボックスを設置してほしい」といった女性特有の話は、なるべく私が拾えるように心がけています。

「組合って何しているの?」という人は多いと思いますし、私も組合役員になる以前はそうでしたが、そんなに難しいことはしていなくて、給料や一時金や有給休暇など、働く私たちにすごく関わりがあることをやっているんです。それを知るだけでも「あ、そうなんだ」と、組合が少し近い存在になるのではないでしょうか。

自分だけでなく、周りの人の働きやすさを考えるようになった

昔は現場の人との関わりが本当になかったのですが、組合役員になってから社内に知り合いが増えましたね。浜松支部はイベントが多いことが特徴で、特に春夏は潮干狩り、ハイキング、ボウリング大会など集まる機会がたくさんあります。9月になると組合の定期大会があるので、それに向けて集まったりします。なので、組合員同士関わる機会は多いですね。組合のオルグや委員会ですごく怖そうな印象の方が、飲み会ではものすごく明るく喋るみたいなギャップに驚くこともあります(笑)。

スキー旅行や潮干狩りは家族も一緒に参加できるので、家族ぐるみの付き合いになりますね。私の姉夫婦や家族も連れていったことがあるんですけど、子ども同士で仲良くなったりして交流の輪が広がります。正直、当初はイベントに参加するのが本当に嫌だったんですよ。何で知り合いが誰もいないところに1日行かなきゃいけないの、と思っていました。でも今は自ら家族を誘って参加しちゃいますね。姉家族もイベントを楽しみにしています。

組合以外にもいろんな委員会で現場に行く機会が増え、現場の方とちょっとした世間話や仕事の話をすることも。昔は「自分の仕事が一番大変」と勝手に思っていたのですけれど、いろんな方と話すことでそれぞれの大変さがわかるようになり、もう少し周りに気を配りたいと思うようになりました。今は自分の仕事だけでなく「この人が仕事しやすいようにどうしたらいいかな」と考えられるようになってきたと思います。

(2022年9月現在)

帝人労働組合

上曽山 大輔 さん

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会社を休職して、本部の専従になった

組合活動を始めたきっかけは、入社3年目のときに先輩から誘われて「職場委員」になったことです。最初はそれほど熱心に活動していなかったのですが、そのうち当時の大阪支部の支部長に誘われ、興味本位で組合活動に顔を出すようになりました。

正直に言うと、組合活動に参加する前は、組合の役員はもっと軽い気持ちで活動をしている印象でしたが。参加してみると、みんなが情熱を持って真剣に活動していることに驚きました。

その後、大阪支部の支部長から「営業所の地区にも執行委員という役割を置くことになったからやってみないか」と声をかけられたことがきっかけで、本格的に組合活動に取り組むようになりました。

転機が訪れたのは2016年の秋。会社を休職して、労働組合の専従者(専従)になったのです。

専従に誘われた日、お話を受ける前に家族に相談しました。妻の父は別の企業で労働組合の役員経験があったので理解があり、背中を押してくれたのですが、私の父の第一声は「お前は馬鹿か」。戦中生まれの父は、労働組合に昔ながらの偏ったよくないイメージを持っていたようです。民主的な労働組合であることを丁寧に説明したら、なんとか理解してもらえました。今は、家族に支えられながら組合活動をしています。

帝人労働組合のモットーは「職場が原点」。職場にどんなメリットがあるかを常に考えながら活動しているつもりです。

厳しい言葉をもらったからこそ成長できた

本部の専従になってからも順調ではなく、挫折の連続でした。

最初の挫折は、会社との協議の中で、下調べ不足から失敗してしまったことです。私が調べたら分かる程度の内容を質問した際に、会社から回答とともに「制度を理解していますか」と言われてしまいました。それは「組合役員なのにそんなことも勉強していないのか」と思われての指摘でした。それがとても悔しくて。それ以来、事前準備を入念にするようになりましたね。厳しい言葉でしたが、あの洗礼があったおかげで成長できたと思います。

組合の仕事で大きなやりがいを感じたのは、昨年の春に定年を65歳までのばしたことです。その協議には2年近くの歳月がかかりました。

帝人の定年が60歳になったのは昭和55年で、その時の組合執行部にいた人はもう誰もいません。だから、どういった交渉をすればいいのか知っている人がいなくて、役員経験の長い先輩方からアドバイスをもらいながら、古い資料をコツコツ調べるところから始めました。

時間はかかりましたが、会社よりも組合のほうに資料が残っていたこともあって、過去の交渉を参考にして、定年延長を実現させることができました。大変でしたが、達成感はありましたね。

UAゼンセンの研修で価値観を覆された

UAゼンセンに加盟していてよかったと思うのは、横の繋がりができたことです。UAゼンセンの活動で知り合ったメンバーと連絡を取り合い、情報共有しているのですが、そこで得た知識が交渉の資料作りに役立つことが多々あります。

もっとも印象に残っているのは、「友愛の丘」の研修でのグループグループディスカッションです。

そのディスカッションのテーマは「外国人労働者を受け入れるべきか否か」でした。組合役員になったばかりの私は元の職場のイメージから「国内の労働者を守るためにも、安易に外国人労働者を受け入れるべきではない」という考えだったのですが、ペアを組んだ他組合の先輩は「受け入れたほうがいい」という考えでした。なかなか意見が折り合わなかったのですが、じっくり話を聞いてみると、その先輩の職場は長い間、人員不足に苦しんでいたんですね。「だから労働市場が開くのはありがたいことなんだ」と。それはこれまでは想像できないことだったので、価値観を覆された思いでした。

このように、働く産業が違えば、同じ組合役員であっても価値観はまったく違う。UAゼンセンの研修は新しい価値観に出会えるので、ぜひ参加すべきですね。

コロナ禍での活動の難しさと工夫

コロナ禍以降は、対面でのコミュニケーションを封じられたことから、最初は戸惑いもありました。それまでは、組合員からの聞き取りは対面で行っていたんですね。なので、相手の表情を見て、伝わっていないと思ったら言葉を変えて聞き直すなど、きめ細かなコミュニケーションが可能でした。飲み会の席でフォローすることもできましたし。

しかし、コロナでその手段を使えなくなってからは、職場の声をちゃんと拾えているのか、不安になりました。

そこで、職場の聞き取りをする際は、リモートであってもなるべく雑談の時間を持つようにしたんです。会議が終わったらすぐに切ろうとする人も多いですが、できる限り雑談からその職場の情報を拾い集めるように心がけています。

そのように、今までどおりの活動が当たり前にできなくなることもあります。今までどおりではなく、常にやり方を変えていかないと、組合は衰退していく一方でしょう。常にアップデートしつづけることは、組合にとって永遠の課題だと思っています。

(2022年9月現在)

大和冷機労働組合

森岡翔太 さん

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3年目、ようやく仕事のおもしろさがわかってきた

私は業務用冷蔵庫の設計の仕事をしています。新しいものを生み出すことはもちろん、元からあるものの形状を変えたり、性能を向上させるためにプログラムの変更をしたりと、日々少しずつ製品の改善を重ねています。
今は入社して3年目ですが、ようやく仕事のおもしろさがわかってきました。入社したばかりの頃は、工具の名前からしてわからないことだらけで、先輩方に多大なご迷惑をおかけしながら学んできました。初めての設計業務は1年目のときで、先輩がほぼ作り上げていたボックス(冷蔵庫の箱)の図面を、私が最終完成させるという仕事でした。

ただ、図面を書いて出したら先輩から「全然だめだ」とお叱りを受けました。話を聞くと、部品の位置が合ってないとか、繋ぎ合わせたときに形が歪んでしまうとか、本当に全然だめで。その経験からものづくりの奥深さを学び、今はできるだけ慎重に、実際にでき上がるもののイメージをしっかり確認してから最終的な図面を出すようにしています。

そういった失敗も経て、ものをひとつ作るにあたってもいろいろ手段、いろいろアプローチの仕方があると知り、だんだんと仕事をおもしろく感じるようになりました。ちなみにそのとき叱られた先輩とは、今は笑って冗談を言い合えるくらいの仲になっています(笑)。

組合活動のおかげで生まれた人との交流

今の私の上司がもともと組合役員で、その方が課長に昇進するタイミングで組合役員に誘われました。最初は組合のこともわからなかったし、正直あまり乗り気ではなかったですね。ただ、上司に言われていたのは「組合役員になるといろいろな人と話す機会があり人脈が広がる」と。私が人と話すことがあまり得意ではないので、なおさら組合役員になれば仕事をする上でプラスになるんじゃないかということで声をかけてくれたんですね。

その言葉を聞いて半信半疑で組合活動をしてきましたが、人脈的な意味で予想の数倍は助かっているなと思います。私は設計職なので、仕事をする上で製造現場の方との連携が必要なのですが、組合活動がきっかけで製造現場側に知り合いができ、仕事のついでに雑談なんかもできるようになりました。私は元々口がうまくないし人見知りだし、組合役員になっていなかったら、ただ要件を済ませるために製造現場に行って、ただ戻ることの繰り返しだったと思うんです。けれど組合役員をやっているおかげで、用件を伝えに行ったついでに世間話をして、そこから得たアイデアを設計に生かすこともできるようになりました。

新型コロナウイルス感染症の影響もあり、私はまだ参加したことがないのですが、UAゼンセンの会議や行事では、大和冷機工業のエンドユーザーである飲食業界の方と話す機会もあると聞いています。そういった場はすごく楽しそうですし、いずれは私が所属している大和冷機労働組合以外の組合員さんたちとも交流してみたいですね。

組合は“堅い”ものじゃない

今は組合の中で、教育宣伝部の役割を担っています。これから入ってくる新入社員、新しい組合員の方たちに向けて、組合がどういうものかを説明していかなければいけない立場にあるので、組合についての知識をしっかりつけていかなければ、ということが今の課題です。
おそらく多くの方は、組合活動に“堅い”印象をお持ちだと思うんですよね。政治的なイメージというか。実際は、みんな楽しそうに気ままに活動しています。もちろんやる時はしっかりやりますが、全然かっちりしたものじゃないよ、ということをまず伝えたいですね。

私にとって「働く」とは、誰かが喜んでくれるものを作り、人のためになることだと思っています。人が笑顔になれるものを作りたいですし、仕事をした結果、誰かが喜ぶところを見たいがために仕事をしています。これは組合にも繋がる話で、組合の活動でポジティブな反応を得られたり、誰かのためになっていると感じられたりすると達成感があります。その瞬間のために、仕事も組合活動もやっているのかもしれません。

(2022年9月現在)